2017-03-09 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
○国務大臣(岸田文雄君) 二月の中旬ですが、南スーダン政府関係者として労働大臣が一名、軍関係者として参謀副長一名、准将二名、大佐一名、それぞれ辞任したと承知しています。 どのように評価するということですが、他国の内政のことですのでお答えは控えなければならないと思いますが、この辞任の理由につきましては種々の情報があります。
○国務大臣(岸田文雄君) 二月の中旬ですが、南スーダン政府関係者として労働大臣が一名、軍関係者として参謀副長一名、准将二名、大佐一名、それぞれ辞任したと承知しています。 どのように評価するということですが、他国の内政のことですのでお答えは控えなければならないと思いますが、この辞任の理由につきましては種々の情報があります。
お示しのルメー大将は、一九五七年、昭和三十二年以来、米国空軍の参謀副長をいたしておりまして、一九六一年、昭和三十六年以降は同参謀長をいたしております。
○岩佐委員 三月十四日ハワイで太平洋軍の幹部シグラー米陸軍西部司令部参謀副長大佐が、日本人記者団との記者会見で昨年十一月ハワイでの米陸軍の図上演習に村松陸上自衛隊防衛部長がオブザーバーとして参加していたというふうに発表していますけれども、これは事実ですか。
ただいまのシグラー参謀副長の話は、私ども新聞記事で拝見をした段階でまだ公式な連絡に接しておりませんが、そういう希望が制服の陸上自衛隊にもあることは事実でございます。海と空の訓練、海につきましてはすでに過去八十四回日米共同訓練をやっておりますし、空もたしか十四回だったと思います。ただ、陸につきましては、これは現時点におきましてはまだ具体的な計画がないということで現実の問題にはなっておりません。
したがって、そういった方々、あるいはこれは名前は挙げてないだろうと思いますけれども、松村智勝さん、この方も関東軍総司令部の参謀副長、こういった方々にも会って話を聞きなさい、生きた証人じゃないですかということを私は具体的に申し上げました。残念なことに、この一年の間に松村さんが亡くなっている。生きた証人が何人かいらっしゃるからと言っております間に、もう一人亡くなっている。
○中島政府委員 この点は過日外務委員会においても御論議があったところでございますが、そのとき外務大臣からも御答弁申し上げたところでございますが、このジャスキルカという海兵隊の参謀副長は軍事的な面について発言をしているわけでございまして、彼自身も先生の御引用のとおり国務省と日本政府との事前協議の問題であるということを明確に言っておりまして、その問題とは別に軍事的な面について第一線の部隊長として触れたということでございまして
第二は、その検討の方法といたしまして、日米間でしかるべき適当な委員会を設けまして、できるだけ早く討議に移るという原則が了解されまして、その後大臣から、委員会の構成なり、いつごろまでにその結論を出すかというふうな細目については、私と参謀長とできめろという御指示がありましたものですから、日ならずして参謀長と会見しまして、委員会につきましては、日本側は防衛施設庁の次長を議長とし、また米側は参謀副長を議長としまして
特に四月になりましてからは、ちょうど大臣がお会いになるという直前に、この問題について先方の司令部の施設担当の参謀副長、これが先方の代表者でございますが、これと数時間にわたりましていろいろ論議も、折衝もいたしております。これは長い時間をかけた例でございますが、その他二月以降におきましても、この問題については数回にわたって話し合いはいたしております。
米側は府中の在日米軍司令部の施設担当の第四部長、あるいはあちらでは参謀副長と言っておりますが、施設担当の参謀副長が、その施設関係の委員会の先方の責任者、この施設特別委員会には、これまた関係各省の方に参加していただいておりまして、いろいろの問題をそこで検討をし、決定を得ましたならば、あるいは合意ができないならできないとして、これを合同委員会にあげまして、合同委員会は、ただいま申し上げましたように、日本側
戦後アメリカの空軍の参謀副長、参謀長を歴任されておりまして、戦後におけるわが国の航空自衛隊の発達にお尽くしになった。そういう方に対しまして、儀礼的に相互に勲章を交換し合うという国際慣例に基づきまして、叙勲せられたものでございます。
大正の末期には参謀本部部員兼海軍軍令部参謀といたしまして、直接国防用兵、作戦計画立案の任務を担当したこと、昭和二年ジュネーヴの海軍軍縮会議に列席し、次いで国際連盟の全般軍縮会議の準備委員といたしまして、軍縮問題に直接ぶつかったこと、また実戦の体験といたしましては、満州事変及び上海事変には参謀本部からの派遣参謀として、もしくは軍参謀として、北支事変には砲兵連隊長として、ノモンハン事件の末期には関東軍参謀副長
それぞれ別個に最高首脳部とも連絡いたしまし今後の数字、若しくは全般的計画というようなものについてはできる限り速かに日本側に通知すべき要望を伝え、又先方の持つております計画についてもこれをつきとめようとしたわけでありますが、極東軍司令部におきましては参謀次長のハンロン少将、空軍司令部におきましては参謀長マクナートン少将、海軍司令部におきましては参謀長マクマホン少将、陸軍におきましては参謀長カーター少将、参謀副長
それは実は、十三日の解雇というのはどうも話がひど過ぎるから、せめてもう三日延期して欲しい、十六日になれば八百人全部が年末手当をもらえるのであるから、その上で解雇ということになれば事態が相当違つて来るのだという押問答を実は昨晩もいたしたのでありまするが、先方も、座間の参謀副長から、技術部長のシエアラーという少将ですか、これにまで電話をしてくれたりいろいろ交渉をしてくれたのですが、TOD側の返事では、年末手当
○証人(赤鹿理君) これは関東軍の参謀長、参謀副長などがおりまして、そういうような者が話しておるのを聞きますと、終りのときに何ぼということだけは申しておつたそうでありますが、実際は軍人以外の人間が大分入つている。実際私共ナホトカでいつも世話しておる人がおりましたので、聽きますと、軍人ではありません、私は鉄道へ入つておつた者だということを申しておりました。
○安東委員長 最後にお尋ねいたしたいと思いますが、ワシントン三十日発U・P共同電によりますると、総司令官の参謀副長のフオツクス代將が、月末にアメリカ下院委員会で、日本人は共和政体に同意はしておるが、まだこれを受入れるだけの準備ができていない。こう申しております。